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ハヤシシゲミツさんをインタビュー

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ハヤシシゲミツさんをインタビュー

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<プロフィール>
ハヤシシゲミツ

1969年兵庫県西宮市生まれ
1993年大阪芸術大学芸術学部 写真学科卒
大阪東京の写真スタジオでカメラマンアシスタント等
を経て2001年よりフリーランスとして活動をはじめる。
雑誌、広告などの撮影のほか個人的な作品制作を行う。
2007年からの4年間で大阪のギャラリーで通算5回の個展
を開催する。他グループ展多数(ビーツギャラリー)
2010年個展「続・光の方向へ」ルーニー247photography東京
2012年二人展ひび (プラネットアース元町)
2013年二人展光線(神戸稲荷市場内万博堂)

主なグループ展

写真展KOBE*HEART 2010~2014神戸アートビレッジセンター
(2012、2013、2014は仙台メディアテークでも開催)
現在は阪神間を中心に取材活動を通じた地域密着型の作品制作
と発表を模索しながら継続中。
Twitter: hayashiphotos1
ブログ: http://hayashiphotos.blog116.fc2.com/

<昔のカメラマンを取り巻く環境と登竜門>

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Q:ハヤシさんがカメラの世界に入った時、どんな環境でしたか?

今はカメラマンの敷居って低いじゃないじゃないですか。
たぶん想像つくと思うんですけど、デジタル化がすごくって。
学校出た子がすぐにカメラマンだっていって、すぐに現場に出てくるような状況。
僕らの時代って最低でも何年間のアシスタント経験があったり、仕事って教えてもらえないですから、見て盗めみたいな、昭和的な職人的なね。スタジオの主みたいな感じの人がいてね。その人達の時代はアシスタントも給料もらえない。
僕らの時代は、逆にある程度入ってきてもらって、給料も払わなアカンから、ある程度教えてもらえる。でも実際の写真の撮り方とか、カメラも何種類もあるし、で一個一個が作りがものすごく複雑。シンプル過ぎてシンプルやねんけど操作に非常に幅があって。例えば建築の世界で言ったら4×5(シノゴ)カメラって言って、写真館のおじさんが布かぶって、バチッと撮ってたあのカメラ。蛇腹を使って建物の歪みを直したりとか。本当に熟練の技なんですよね。最低でもスタジオで生計を立ててる会社、カメラマンが常時4・5人いて、その下にアシスタントがいて、会社組織でやってるスタジオであれば、最初のシャッターを切らせてもらうのに何年もかかりましたね。
他にレンタルスタジオって言って、ハコとアシスタントだけがいてるんです。そこにスタジオをレンタルしたカメラマンがカッコいい外車に乗ってバーっと来て機材おろして、そこのハコを使う。
いずれにせよアシスタントは直接指導を仰ぐことはできないんですよね。結論から言うとその人が何をやってるのかというのをある種自分で考えながら指示に従ってライティングをどうとかそんな世界です。
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Q:何年前くらいの世界ですか?

私が経験してるのは94年からですか。93年に最初大阪のスタジオに勤務してますね。その後ちょっと僕も続かない方なんで。すぐ飛び出しまして。なんでかというとカメラマンというものがホンマになりたいものなのかどうかよくわからなくて。写真家というカテゴリー、写真作家にもともと憧れてた。ジャンルはいろいろですけど自分の作品で生計が立つ人、豊かでないけど成立してる人を目指していたね。

Q:商業写真とか指示を受けて撮るのではなくて、自らこういうのが撮りたくて撮ったのを作品として販売するということですかね?

写真が売れてやっていければ楽しいだろうなと思います。自由にやってなんとかなるのって理想です。でも日本で写真を買う習慣ってほとんど無いですね。
そのころプロの写真家がどうやって生計を立ててるか知らなかったんですね。結論をいえば大学とかで先生やってたりあるいは雑誌の掲載料をわずかですけどね。大半の人は食えてなかったんじゃないかなって思うんですよね。
カメラマンやったら自分の好きなジャンルを選んで、例えばファッションやりたいとか建築写真やりたいとか。スタジオで勤務してるとだんだんわかってきますよね、
そうやってどういう人になりたいか、カメラマンを見つけて、あるいは始めっから目的を持ってこれのカメラマンをやりたいから、例えばはじめから弟子としてついてしまうとか。そういう戦略は僕には全くなかったですね。だからカメラマンになる予定がなかった。大学を卒業した時バブルが弾けていて、僕は92年卒なんです。だから僕らの2コ上くらいまではものすごい売り手市場だったんです。それが劇的に変わった時期やったから。これまともにやってもしゃーないなって思って。

<葛藤>

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Q:その頃、どうしようと思ってたんですか?

よくわかってなかったんですね。まだ若すぎて。けっこう社会なめとる方やったんで。よく言われましたわ。東京弁で「社会舐めてるよぉ」って。
例えば写真やってます。と。カメラマンですか?いいえ違います。写真家を目指してますってなると自称カメラマンとか自称写真家といううことになる。それはそれでいいんですけど。アルバイトで生計立てながら、でも自分の写真を撮るという方をやりたいんだけど。やっぱりこれじゃあかんしなとか、いろんな諸事情があるんですその頃。例えば当時付き合ってる彼女がとか。もうちょっとしっかりしてもらわへんかったら結婚できないとか。そういうのがあるじゃないですか当時25くらいですから。
ありがちな若い時、自分の目的地が定まってない状態。でも根底には写真をやっていきたい。関わっていきたい気持ちでけど好きなことやるのって意外に大変だし収入も入らない。
アルバイトを頑張ったら収入があるけど時間に余裕がなくなったり作品つくることが億劫になったりしました。どうせ働くんだったら会社員にでもなれば周りも安心かなとか。それでも結局写真に未練があってやめられない。
当時はご飯食べるのにも苦労しながらフィルムや印画紙に多くのお金を使う。写真が好きなんだけど暗い暗室で現像しながらなんか楽しくも孤独で。好きなことやっていくってことは端から見れば羨ましいけど結構大変ですよね。
いま思えば覚悟がなかっただけなんですけど。

<再チャレンジ>

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Q:そこからもう一回写真(カメラマン)の世界に戻ってきた感じですか?

そうですね。始まりですね。30歳くらいから。ちょっとだけカメラマン的なことをもやりつつ。写真家的なこともやりつつ。
それまでは個人的に撮るのをやったりやめたり。職業的にもアシスタント業もやったりやめたり。ひどいもんですよね。平たく言うとフリーターですわ。
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Q:写真だけで食べていこうと思ったのは?

その覚悟が決まったのは結婚ですね。一回目の結婚。今は結婚してますけど一回目の結婚ですね。二人の収入合わせればなんやかんや言うても、なんとかなりそうな金額になるんですね。片方がダメでも僕が頑張ってればなんとかなるとか、ある種そんな時期があって30前くらいかな。一か八か写真やってみればいいかなっていう気になった事件があったんです。それは私の友人に芸人がおるんですけど。一時めっちゃ売れたんですけど鳥肌実ってご存じですか?彼は昔から友達なんですけど写真集を出すと。漫画雑誌で有名な出版社で一回写真集をやってみたいってことで、当時鳥肌実が一番キレがあるころで、最初軍服とか着て撮る計画してたんだけど、結局それポシャって。軍服のやつは辞めて。本当の鳥肌実写真集(廃人玉砕)で行きましょうって主旨が変わって。その時いろいろスタジオのセットするのに高い機材をいっぱい買ったんですよ。あとでお金払ってもらえるって約束だったんで当時30万円くらい使ったかな。オチから言っちゃうとギャラがでなかったんですけど。いろんな事情があって。
その時に買った機材がずーっと押入れに入ってた。
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機材を活用したいけどチャンスがない。そんな時に大学(大阪芸大)の先輩から「機材とか揃ってるか」と声がかかり(カメラマン)やらへんかと。ちょうど機材が同じだったんですよ。
なんやかんや気がつけば仕事がふえてやっていけるようになった。
そうなってくると金銭的に余裕が出てきて、「俺こんなん撮るために写真やってたんちゃうよな」ってなるんですよね。
どうせ仕事で撮るんだったら、自分の作品世界でできる方法ってないのかなって。そこから雑誌の仕事をはじめてそっから広がっていったんですね。担当してたのはインタビューページとか、取材ですよね。作家指向が強い分アクが強かったので起用される場面が少ないんですけど、ちょっとさっぱりしたのが並んでると濃い味を入れたいなっていう時は濃い写真を撮ってる感じですよね。そういう時はよく使っていただくようになりました。そっからはたくさんやらせてもらった。
その間、さっきも言ったんですけど、「俺こんなん撮るために写真やってたんちゃうよな」ってとこから、かなりまじめに写真作家活動を平行してできるようになりましたね。それがあるから仕事の幅も広がったと言えるんですけど。

Q:そのころ作家活動的にはどういうものを被写体にしてたとか、どういうものを狙ってました?

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漠然と掘り下げていきますと、結局写真て自分が映るわけです。だから自分自身がテーマになってしまいます。究極は。私は別にこれを撮ってるっていうのが、自分の中のイメージを映像化するために写真を撮ってきたつもりなんですね。だから一枚の写真で決着がつくもんじゃなくて、何十枚何百枚って束が襲ってきた時に一つのイメージとなって、枚数の多さは映画の長さであって、映画を見てもらってるような感じで見てもらったほうがいい感じ。あるいは、写真集をめくっていくと何かストーリーが見えてくるような。一枚一枚は個々独立した映像なんですけど、それがまとまった時に何か一つ短い映画を観たような感覚が残るような世界、もちろん自分の世界。そこに第三者に伝わるような。僕の写真を観て何かが残るはずなんです。それをいいと言ってもらってもいいし、すごく下らんって言ってもらってもいいし、感想じゃなくてその人の内面に何か訴えかけられるような物が残って、場合によってはその人を幸せにするかもしれないし、不快にするかもしれないし、そういうことだと思う。
曖昧なものが僕はいいと思ってて、白黒はっきりしてたものを見せられると良い場合もあるんですけど、見る側にちょっと強制してるところがある。これはこういうものだからこういう風に見てくださいみたいな。そうじゃない。「作品というのはあなたが最後の答えを見つけてください。私は演者です。」演者と見る側が受け取る関係性に似てる。観た人が答えを出す。

<神戸>

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Q:神戸の写真を撮るようになってからどれくらいですか?

神戸を強く意識したのは5・6年ですかね。大阪の某ギャラリーのメンバーをやってたんですよ。そこに4年間いたのかな。自主的にみんなで運営してるギャラリーで大阪で知ってる人多いですよ。そこで作品作りと発表する場所として使ってました。そこで作品をどわーっと生み出した。年に2回くらい個展してた年もありましたしね。ものすごいパワーですよね今思ったら。そこを卒業した後、大阪中心から神戸の方に目が向く機会が増えてきましたね。もともと西宮と神戸をそろそろ一回撮っておかないといけないなって。年取って行くじゃないですか。見え方も変わってくるし。物事っていつまでもそのままとは限らないじゃないですか。僕の好きなものも消えていくんですよねどんどん。そこまで強く意識してなかったんですけど震災をきっかけに。古いものがもともと結構好きで、そういうものに敏感に反応するんですね。昭和の匂いがするようなものに対してすごい執着するんですね。自分の中ですごく魅力的に、目で見て心地よく入ってくるというんかな。
ただ神戸もね、何年撮ってるって言ったら、それこそ震災の時も撮ってますし、その前も撮ってますし。大学ん時とか。西宮の湾岸高速とかまだないころ、ドキュメンタリーを撮ってますね。ただ一回自分の中で終わったことだし。先々ひょっとしたら輝きを放つ可能性はあるんですけど、銀塩自体をすごい労力になるんで僕がもう一回焼き起こそうという気になるかというのがあるんですけどね。ただ最低限記録にはなってるんで何か別の価値を発揮するっていうのは十分考えられるんですけどね。

Q:神戸、新開地以外の撮影は?

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あんまりここはこういうところとか意識せずに撮ってるので。例えばなんとなく車に乗って走っててコインパーキングに入れちゃってそっから歩こうとか。そういう考え方の人間で。例えばそこの土地柄がどうとかあんまり関係ない。撮ったら面白そうだなってところを直感的に行くって感じですね。新開地を撮る理由っていうのは古いものがたくさん残ってますしね
あくまでも自分のために自分のある種娯楽、のために撮ってるっていうのが基本線ですよね。
それが地域性と結びつくものがあればそれは面白いなとは思うんですけどね。誰かの役立つために僕は写真をやってるんじゃなくて、僕はそうしたいなと思ったことをしてるでけです。

Q:稲荷市場のアーケードでの展示(稲荷市場の万博堂)のテーマや切り取り方はどうして生まれましたか?

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倉科君(倉科直弘 http://www.kurabou.netと二人で新開地をテーマでやったんですね。
出来上がってるハコを使ってやるのもいいんですけど、それだけだとなんか足らんのですよ。僕もずっと一貫してるわけでなくて試行錯誤しながら次の展開を考えてるわけですよね。ハコの面白さと写真の面白さと見せ方の面白さと、それが地域性があるのかないのかっていうのもそうですし。新しい写真とプラスアルファって何かっていう部分でハコごと自分で自前で何か工夫して用意するっていうのもいいかなって思うんですけどね。
アソビっていうか、もうちょっとチカラ抜いてやりたいなって。
こないだやったようなのは新開地という古いものを僕は集めたし、彼(倉科君)は人を撮ったし。隣にヒカリさんっていうお好みやさんがあって、その隣に中畑商店(ホルモン屋)があってあの2つのセットって強烈じゃないですか。そこで昼間っからビール飲んでぼーっとしたいなという欲求を満たしたいという試みですよね。

<光が決定権を持ってます>

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Q:エリアにこだわらないってことですが、こういうものを撮りたいってあります?

出会ってない。
めっちゃいい話しますよ。(笑)
同じ被写体でも光が変わると、全く別物なんです。逆光で撮るのと順光で撮るのと全然違います。景色もそうなんです。当たり前なんですけど。真っ昼間撮るのと夕方の夕日で撮るのと。それに出会うためには場所というより場所と時間が一致しないとダメなんです。風景論としてはそうなんです。あとは魅力的なものがあって、その魅力的なものに向けてシャッター切るときにどういう光があたっているか。それ重要です。前来てしょうもなって思って、次におんなじエリア入った時に、「前全然ここシャッター切らなかったな」ってとこをもう一回歩いてみると、そん時と光が全然違ってこんな素敵な街やったんやって。光が決定権を持ってますね。街ではなくて。街の魅力を輝かせるのは光です。これええこと言いました今。(笑)
光のほうが重要。写真にとっては。
出会うまで歩く。それしかないです。その時間にそこを歩いてて何に出会ったかが街写真だと思いますね

Q:今後どんな作品を撮りたい?

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いままでと変わらない方法を継続しながらも新しい表現にも挑戦したいですね。

ありがとうございました。

 

 

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