前畑温子さんをインタビュー
|前畑温子さんにあれこれ聞いてみた
前畑温子(まえはた・あつこ)
1984年神戸市生まれ。
写真家兼ライター。アーティストとして造形もおこなう。
雑貨屋さんで偶然手にしたトイカメラをきっかけに写真の世界に足を踏み入れ、近年はカメラと一緒に日本中の産業遺産を制覇するべく旅を重ねている。
デジタルフォトコンテストDPC2や池島フォトコンテストに入選。
『産業遺産の記録』(三才ムック・2012年)の表紙写真など、雑誌・ムックやウェブにも数多く写真・原稿を提供している。
また、NPO法人J-heritageの設立に関わり、産業遺産を巡るツアー企画の立案などを担当。
好きな食べ物は、カレーとアイスクリームとビール。
<所属>
NPO法人J-heritage 戦略企画室室長
神戸市のまち歩き団体 くもの会 会員
兵庫県ビジョン委員会 会員
公式サイト
http://atsuko-maehata.wix.com/atsuko-maehata
【アート】
今年またアート作品を作るんですよ。
産業遺産アートプロジェクト「生野ルート・ダルジャン芸術祭2014」(以下「ルート・ダルジャン」と略称)ていうんですけど、2011年と2012年の2年連続やったんですよ、芸術祭を。
兵庫県の朝来市に生野銀山ってあるんですけど、そこの旧購買会っていう昔のスーパーマーケットの跡みたいなのがあって、そのなかでアーティストを何人か呼んでアート祭りみたいな芸術祭を過去2回していて、2年飛んで今年もう一回、11月の1日から9日までやるんです。私はインスタレーションにする予定です。
Q 今まで西宮船坂ビエンナーレみたいな写真以外の作品を出展されたことありますか?
西宮船坂ビエンナーレ2012
実はあれ、3回目なんですよ。
ルート・ダルジャンで2回インスタレーションをやっていて、3回目が船坂ビエンナーレ。
今回のビエンナーレは出展していませんが、今年のルート・ダルジャンは出展します。
Q 前からアート作品の制作ってやってたんですか?
全くやってないんです。
前々からアート作品を観るのは好きなんですよ。直島とかも行ってたし。自分もなんかやりたいなと思ってたけど、芸大も行ってないし、ましてや保育士やし、全然畑違いで。
でも、心のどこかでずっと作品を作ってみたいという気持ちがあったんです。
実際、生野銀山のとこで旧購買会っていう建物を活用したいっていう話が出て、「アートイベントやってみよう」って話しになってJヘリがやらせてもらったんですよ。その時に、「私も出展したいです!」って志願したんです。
実は毎年1年の目標をたてるんですが、その年の目標が、「私、今年の目標はアーティストになる」だったんです。
ルートダルジャン2011
初めて作ったやつは観たことなかったですよね。
ちょっと怖めの作品なんですよ。
発想力があっても、作れなかったんですよ。作品を作るための知識が無いじゃないじゃですか。何をどう作ったらいいのかわからなかったんです。技術的な問題なんですよ。
初めて作ったのが石膏を使った作品で。「石膏ってどうやって使うんやろ?」みたいな。それで東急ハンズのお兄さんに「石膏で自分の足の型を取りたいんですけど、どうしたらいいですか?」っていろいろ聞いて。初めて作ったのがこっから下(ひざ下)を石膏で両足抜いて。
生野銀山にカラミ瓦っていう瓦があって、高温で焼くからちょっと赤いんですよ。その瓦とカラミ石ていう石があってそれを使って作る。
1回目(の展示場所)が購買会の冷蔵庫跡なんですよ。とても狭い空間で、その中に自分で割ったカラミ瓦とカラミ石をたくさん入れて、私の足が乗ってるやつだけ全く割れてないきれいな瓦にして。
作品の横には詩も一緒に展示してました。生野銀山に関わりだしてから、昔の人が頑張って色々失敗とか成功とか積み重ねた上に平和な世界があるってすごいわかって、それをなんか作品にできないかって思って、『先人の地』というタイトルでやったんですけど。
割れた瓦に先人達の失敗とか苦悩とかそういうのを表してて、そのわずかな成功の上に立たせてもらってるみたいな。パッと見、怖い印象なんですけど、私的に怖いと思ってもらうのが成功というか。そういうことに気づかず生きていくことが怖いことやでっていうのも一緒に伝えようと思って怖い感じにしました。
ルートダルジャン2012
2回めがバトンっていうやつで、円形になって真ん中にカラミ石があって、上に手があるんですけど、この手にバトンを握らせてるんですよ。そのバトンていうのが錆びた鉄の棒。さっきと似てるんですけど、先人たちのバトンを自分は受け取っているのか。
船坂とは全然違う感じだったんですよ。船坂は、私の場所は窓の外に作った物入れのスペース。実際に見に行ってから絵描いて自分でイメージ作ってあれを作ったんですけど。靴が上がっていくやつ。
Q 作りたい欲求って前からあったんですか?
何か作品を作ってみたいとは思ってました。
ただ、術がないし、自分が作れるかどうかもわからなかったんで。
やってみると意外と大変で、船坂の時も靴をぶら下げるために台を作ったんですけど、それもめっちゃ大変で、現地の方に手伝ってもらったり、土も山から持ってきました。持ってきた土からは偶然草が生えてきたりもしたので、水をやって育ててみたり。
【神戸】
Q 神戸生まれの神戸育ちですよね?神戸から出たことない?
アマ(尼崎市)に行ってました。ダンナと同棲するのに2年間だけ行ってました。
ダンナの仕事が大阪で、私が三宮やったんで中間で。
Q 神戸から出た時の神戸ってどう見えました?
武庫之荘っていう所に住んでいました。家は自転車で10分のところ。
神戸に住んでいた頃はなかった田んぼとか畑が結構あって、すごくいいところだったんですが、やっぱり自分が小さい頃から住んでいた新開地が大好きやって改めて感じました。
結婚することになってからは、旦那に「新開地はめっちゃいいところやで~!」って説得して、3年前から戻ってきました。
やっぱり新開地は住みやすいです。
【本のこと】
Q 『女子的産業遺産探検』、反響どうですか?
反響はけっこうありますね。本を見て連絡を下さったメディアもありました。最近、自分がいくつメディアに出たか全部書き出したんですけど、5月から何十個って出ててびっくりでした。女の人が産業遺産行くのが珍しいから呼んでくださったみたいです。
あべのハルカスに来てくれた産業遺産に全く興味が無い若いお兄さんがいるんですよ。たまたま紳士服売り場に服を見に来たらしくって、喋ってたら「写真観て鳥肌立ちました」って言って写真集も買ってくれたんですよ。その後もやりとりがあって、産業遺産に興味を持ってくれたと聞いて、とっても嬉しかったです。
他にも結構読んでくれる人が多くって。反響というか、女の人で「この本読んで最後のほう泣いちゃいました」って何人かメッセージももらいました。
私が廃墟マニアになる前からの話なんですよ。カメラを始めて、今こうやって産業遺産を回っていくに至っての10年間の話なんです。
で、女の人からの反響が多かったんです。Twitterとかで検索するじゃないですか。そしたら自分が廃墟に行きたくなったきっかけと一緒やとか、自分が行きたい場所しか載ってへんとか。けっこう女の人からの反響が多くて。ツアーにこられる方も女の人が増えてきていると思います。
この前、大阪の中津の『511』っていうとこで女の人限定でトークイベントやったんですよ。15、6人来て、そこから昨日のツアーも来てくれたりとか色々するようになって。面白いと思いました。
この前、ラジオ中央fmの人も「私泣いたんですよ、これ観て」って。ほんまですか!?って嬉しかったです。
Q 以前に文章を書いた事はありますか?
写真集『産業遺産の記録』の時も書いてて、地道に文章は書いてるんですけど、ああいう自分の事を書くことが一回もなくって。ブログもやってなかったんで。
この本が決まった時に、文章を書いてみたらって言われたんですよ。
初めにめっちゃ堅い産業遺産の本みたな感じで、何年にできてどうのこうのってわーっと書いてたら、「自分が行ってどう思ったか書いたらいいよ」って言われたんですよ。「気にせんでいいから自由に書き」って言われて書いたのがあれなんですよ。そんなに手直しもされてなくて。大幅に変えろとかもなくって、点とか丸付け足されたりとか、「これ順番こっちの方がええんちゃう」とかそんな程度で。書いててけっこう面白かったです。
Q ぶっちゃけ何冊くらい売れそう?儲かります?
今のところ、まだ数字が出ていないので、どれだけ売れてるかわからないんです。
全部売れたら儲かりそうなんですけど……。
頑張って売ります!
【産業遺産のこと】
Q 廃墟と産業遺産ってどう違うの?
廃墟と産業遺産の違いって、状態のことをいうのかなって。
廃墟っていうのは、廃旅館とかみたいに誰からも維持しようとされず、放ったらかされた状態のことを言うと思うんですよ。
産業遺産というのは、日本が経済成長していくことに使われた炭鉱とか人々が生きる営みに使われた場所ということで病院とか学校とか。なおかつ維持管理される、管理してる人がいたり、地域の人が残そうとしてるもののことを産業遺産と思ってて。後世に伝えるべき遺産のような。
Q 産業遺産って定義はあるの?
あるんですよ。あるんですけど、近代化産業遺産や産業遺産など色々あって、中にはめっちゃ狭い範囲だけを言う人もいるし、めっちゃ広い範囲を言う人もいるし。私達はわりと広い範囲を産業遺産と呼んでて人々の記憶とかも産業遺産だと思ってるんですよ。
今でも廃墟は大好きですよ。そのおかげで産業遺産に出会うことができたし、廃墟側も産業遺産側もどっちもの気持ちがわかるんです。産業遺産って遺産って付いてるから、地位の高いっていうかエラい感じのイメージがあるけど。実はそうじゃなくって、私みたいに歴史が全く興味がない人が行っていい場所だし。価値はあるけど誰でも行ってもいい場所やでっていうのを伝えたいなて思って本書いたんです。
(本のタイトルに)探検ってあるじゃないですか。私としては(最初)産業遺産って難しいイメージがあって、勉強しに行かなきゃとか、人の話を聞きに行かなきゃって思ってて、それでは誰も行かなくなるかなと思って。歴史興味ない人が行ったらあかんとかって。そうじゃなくって、自分みたいにカッコいいからそれを観たいから行くとか、探検したいから行くとか、あのおっちゃんに会いたいから行くとか。そんなんでいいねんでっていうのを伝えたくって歴史(的説明)は省いたんですよ。もう一つの理由は、後で分かるんですよ歴史は。ネットで調べたら。
私自身が行ってどんな人に会ってどんな話聞いてとか。この辺の話だったら湊川隧道(神戸市)のことやったら、私の好きなカレー屋さんの話とか野球カステラの話とか、その地域を回ってみたくなるような仕掛けとかしてます。
Q 女子であるメリット・デメリットって有ります?
女子だからというよりも、私がその場や歴史を調べずに行くから「あれ、なんですか?」とか質問したり、「これめっちゃかっこいいですね!」って感動していると「あっちもめっちゃいいのがあるで!」と連れて行ってもらえたりします。
デメリットは、なんやろな?体力とかですかね。山とかめっちゃ登ったりするんですよ。崖とか怖かったですね。
Q 産業遺産と廃墟に行く女子は今回の発行で増えましたかね?
増えてくれたらいいなって思ってます。
私みたいに全国回ってる人が少ないんですよ。自分の住んでる地域のあれが好きやねんってみたいな人はいても、あんまり全国でやっていこうって人もいない。こうやって本出してる人もいないし。
Q 女子が増えてくるのってどうですか?
嬉しいですね。私いつも女子一人なんですよ。
Q この本には載ってないけど、良かった場所とか、無くなった場所だけど思い出深い場所とかありますか?
川南造船所
無くなちゃったんですけど、川南造船所跡が、めちゃくちゃよかったです!コンクリートの空間に緑がいっぱいあって、めっちゃかっこよかったです。
(1位は?)1位?え?悩むな。軍艦島かな。ここはいろんなことを気づかせてくれた場所。ぼろぼろになった建物を観た時にガイドの方が「この姿は日本の未来の姿になるかもしれない」って言われたんです。それを聞いて「このままじゃあかん!」って思って写真をちゃんとやっていこうと思ったんです。
Q 何物件以上行ってます?
200以上行ってます。回数で言ったら数えられないですね。生野銀山だけでも数え切れないです。今、月一くらいで行っているので。
Q 産業遺産に関わってどう?
私自身は、産業遺産に関わりだして人生が変わったっていうか、人生完全に変わって保育士辞めてしまったんですけど。
産業遺産に行きだして日本の昔のこととかに興味を持つようになったんですよ。それまで興味が全くなかったんですよ。私、歴史嫌いなんですよ。面白くないって思ってて。年号と事件の名前とか覚えてたら点数とれるし。なんか別に深く知ろうとか全然思ってなくって、教科書さえ覚えておけばいいやぐらいだったんですよ。
けど廃墟回り出してJヘリ立ち上げて、色んな産業遺産に行ってたら、別子銅山とか足尾銅山とか教科書に載ってるとこがまだ残ってるって事に衝撃やって、実際に行くと、そこに携わってる人とか色んな人と話するきっかけになって、このままじゃアカンみたいな、全然みんなに知られてないじゃないですか。今まで教科書の中の世界というか、全然関係ない世界やったのが、実は自分とリンクする、なんら変わりのない人が働いてて、そういう人たちのお陰で、今こう豊かになってるっていうのも全部知ったので、生きた教科書みたいな存在なんかなって思ってて。
その中には建物だけじゃなくて人もあるし地域もあるし、産業遺産っていう魅力がその3つ揃ってこそあるんやなって思ってて。その中には年上の人への敬意とか尊敬とか、そういう言葉では言わへんけど感じることができる。
保育士をやってたからっていうのもあるかもしれないけど、あんまり年上の人に敬意をもって接する子が減ったかなって思って。せっかくいろいろ考えて話してくれてるのに「また同じこと言うとうわ」みたいな。
全然敬意なく上から目線で人を見たりとか、話も半分しか聞かへんかったり、で、自分のためを思って言ってくれてることも「うざい」とか「もういいし」とか。
そういうのって今の子が悪いんじゃなくって、そうしたのは今の日本の教育だったりとか、そういうのもあるから一概にその子らが悪いんじゃなくって。じゃ、どうしたらもっと良くなるって言うか、年上の人に敬意をもって接するか、人の話を聞くとか。そういうのって自分が何か感じて変わらないと変わらへんというか。
実際私達のやり方だと産業遺産に連れて行って、そこで働いてた人達の話を聞くと、「おっちゃんら凄いな」ってなるんですよ。鉱山とか行ったら、こんな大変な仕事ようやっとったなって。凄いって。その凄いっていうのが間接的だけど敬意とか尊敬とかに伝わってくるんかなと思ってて。私自身は、その産業遺産に連れて行くことで色んな人に産業遺産を通して、人との関係とか見直すきっかけとか作りたい。
今って、良くも悪くも震災とか起きたら絆とか助け合わなあかんとか言ってるけど、そんなんなかったら言わないじゃないですか。違う地域で災害とか起こっても「○○県大変やな」とか人ごとになってるじゃないですか。でもうちらって日本中旅してるじゃないですか。日本中に知り合いがいるんですよ。福島のこともあれなんですけど、復興税で税金上がったじゃないですか。それも、「この前福島行った時に案内してくれたあの人のためなら、しゃーないな」て思うし。どっかで水害とかあっても「あのおっちゃん大丈夫かな」とか。
場所じゃなくって人と人みたいになっていくんで。それを色んな人にも伝えたいし。それがうまく行けば他人ごとにならへんし、結束力も強まるやろうし、もっと良くなるんじゃないかなと思ってツアーをいつも企画してるんです。
【Jヘリテージについて】
Q Jヘリはそういう考えを元に作られた?
元々は廃墟マニアです。色んな所を探検してました。でも、兵庫県にある明延鉱山ってあるんですよ。実はその横に神子畑鉱山ていうのがあってそこを見に仲間達と一緒に行ったんですよ。そうしたら神子畑が壊されてて無かったんですよ。仕方ないし、車で50分ぐらいの場所にある「明延行こっかって」行って明延鉱山行ったんですけど、そこは廃墟じゃなくって、ガイドが付かないと入れない場所で、いわば『産業遺産』だったんですよ。
廃墟マニアからしたら「人が管理してるところなんて面白くないわ」ってみんな思ってて、でも行ったら洞窟みたいな坑道でガイドの人もめっちゃいい人で。
喋ってる中で「実は今日、本当は神子畑に行こうと思ってたんですけど、壊されてたんですよ。あれ何でですかね?」って聞いたら一言その人が言ったんですよ。「自分らみたいな若い子が勝手に入るから壊されてしまうもんもあるんやで」って。それが凄いショックで、自分たちがめっちゃ好きで行ってた廃墟が、自分たちが行くことで壊されることにつながってるんやって今まで思いもよらなくって。
で、なんで解体されるっていうのにつながるかって言うと、その神子畑選鉱所っていうところは、廃墟マニアの中では「絶対いかなあかんやろ」みたいな大規模な廃墟だったんですよ。関西に住んでるのに行ってないっていうのは恥ずかしいくらい大規模だったんですよ。(神子畑選鉱所の)会社の人がたまたま「神子畑選鉱所」って(PCのキーボード)打ったら、ありえへん(ありえない)くらい廃墟サイトが出てきたらしくって。会社からしたら、若い子が入ってそんなんしてるのって夢にも思わへんし。入って怪我されたら自分らに責任がかかるから壊してしまおうっていうんで壊されたんですよ。
入ることが壊されることに間接的に凄いつながってて「それじゃあかん」って。産業遺産って側面もあることを知ったし。自分らで合法的に行ける仕組みを作ろうってのがJヘリの始まりなんです。だんだん行きだして『産業遺産』や、って行くんですけど、はじめのメンバーは廃墟マニアなんでどんどん抜けていって、初期メンバーは私とダンナだけなんです。
Jヘリやりだしてから「合法的に行こう」って言ってるし、不法で入ったら「あのおっちゃん悲しむな」とか出てきたから、暗黙のルールで「やめよう」ってなったんですよ。廃墟行くのやめようって。ちゃんと許可取って行こうって。
私もダンナも廃墟には行ってないんですよ。ちゃんと許可とって『産業遺産』っていう側面でアプローチして入れてもらってて。
Jヘリやり始めてから2年くらいおもろなかったんですよ。廃墟のほうが好きやったんですよ。でも付き合ってるし、(廃墟に)行くわけにはいかへんし、でも人の話聞かなあかんし、写真撮られへんし、すごい嫌やって。私はやっぱり写真を撮りたいんですよ。
しかも、ガイドさんっていいことしか言わないんですよ。何年に栄えて凄い良かったって。歴史苦手やし、いざ話終わって写真撮ろうと思ったら「次行きます」とか言われるし。いややなぁと思ってて。それがずっと続いてて。
ある日北海道に行くことがあって、赤平炭鉱っていう炭鉱があるんですよ。そこに行った時に出会ったミカミさんっていうガイドさんがいるんですけど、その人は今まで会ったガイドの人達と全然違うんですよ。その炭鉱で実際働いてたんですよ。救護班をしてて事故があった時に助けに行くやつで。坑道の中で事故が起きてミカミさんのチームが助けに行くってなったんですけど、チームのうちの一人の酸素ボンベの量が足りないかなんかで行けなくなって、たまたまミカミさんの後輩がいるチームが先に行ったら事故にあって全員亡くなってしまったっていう話を聞いて。それ聞いた時に涙が出てきて。喋ってる人が働いてて、その人の後輩が亡くなった話なんて絶対辛いはずなのに、それでも「最近の若い子にはいいことだけじゃなくって、そういう危険と隣り合わせの仕事をしてた闇の部分とか、そんなものも伝えて行かないと伝わらへん。基本的に僕はそういう話をするんです」っていうのを聞いて産業遺産って大事だなぁて思ったし、面白いなぁって思ったんです。人と地域を含めて産業遺産っていうのもミカミさんに教えてもらったんです。そっから産業遺産一色になったんです。廃墟の未練が切れたんです。もういいやって。だからミカミさんに会ってなかったら未だに廃墟のほうが面白いでって思ってたかもしれない。
Q ツアーの予定とか
10月18日手柄山オータムフェスティバルで「姫路モノレールツアー」とトークイベントを開催します。
10月19日は東京の下北沢にあるB&Bで「写真で見る産業遺産」というトークイベントをおこないます。
Q Jヘリの活動はツアーとトーク?
旅をする、記録する、アーカイブする。
『産業遺産』って無くなってしまうものがめっちゃ多いんですよ。さっき言ってた川南造船所みたいにもう一回行ったら壊されてしまってたりとか。そういう時ってちゃんと記録されてないものが結構あって、後々見たいのに見られないとか。建築上主要的価値があるけど残されてないとか。図面も残ってないし、っていうのでうちらで記録しようって。写真撮影したり人の話を聞いて記録する。
アーカイブするんですけど、日本の産業遺産ってめっちゃくちゃたくさんあるんですけど、そこにはキーマンがいて、それを残すために頑張ってた人とか、軍艦島だったら坂本さんとか。そういう人たちがいっぱいいるんですけど、繋がってないんですよ。全然繋がってなくって。一個残すってことは坂本さんも仕事辞めて人生かけてやっと今あんな感じなんですけど、自分のとこで一杯なんですよ。そういう人たちがいっぱいいて、自分のとこでいっぱいいっぱい過ぎて他を見る余裕がない。そういう人たちって残すためのノウハウとかわからないとこもあるし、その反面めっちゃうまく行ってるとこもあるんですよ。それって意見交換できたら近道ができるんですよ。今「自分で勉強してなんとかしろ」って言われるくらいの時間が、産業遺産には残されてないって思ってて、それやったら日本全国のキーマンを集めて繋げてやると一気に加速して動ける。残すための法律とか、どうやって許可取ったっとか、申請したとか、そういうダイレクトな悩みを言える。
『産業遺産サミット』ていうのを長崎でやったんですけど、普通サミットっていったらめっちゃでっかい会場借りてすごいとこでやるんですけど、長崎にある桜馬場の歴史ある建物なんですけどめっちゃ小さい公民館でやったんですよ。それにしたのもお客さん同士(2、30人)が近いから喋りやすいし、仲良くなりやすい。そうなったら悩み相談できるじゃないですか。おんなじ炭鉱系だったら炭鉱系の人と仲良くなって意見交換して凄いよくなったらいいし。逆にあかんかったとこ聞いてこうやった方がいいんじゃないかってアドバイスできるし気を付けることもできるし。産業遺産の世界をもっと繋げたいっていうのでアーカイブもやってます。
Q 産業遺産の魅力を一言でどうぞ
産業遺産の魅力は、「建物」と「人」と「地域」、全部がないと語れません。
建物だけあってもしょうがない。そこに携わる人がいるから生きる。地域ってよく言うんですけど、湊川隧道のツアーとか分かりやすいんですけど、湊川隧道がメインだけどユメノマド来たり商店街でお買い物ゲームしたりとか、よくツアーに入れるんです。私自身『産業遺産』=「建物」「人」「地域」って思ってて、産業遺産は湊川隧道で、それを案内してくれるイチナリ先生っていう人がいて、地域がこの街、商店街って思ってます。
別子銅山なんかに行くとおっちゃんとかおばちゃんがめっちゃ喋ってくるんですよ。カメラ持ってるだけで。「別子銅山撮りにきたんか」って。それぞれが歴史を語るんですよ。全然知らんおっちゃんなのに。そんなんも面白い。
ツアーで行って、おっちゃんらが「別にこんなん凄くないわ」って思ってるもんでも、みんなが「めっちゃいいっ」って言って写真撮りだすと「こんなんがいいんや」って気付きになって、自分の街にもいいもんあるんだって、誇りにつながる。次に行った時には「これ見せたるわ」ってめっちゃ乗り気になってるやんみたいな。
神子畑選鉱所(兵庫県朝来市)のおっちゃんらと一緒に仕事してるんですけど、生野銀山と神子畑と明延の3つを足して「鉱石の道事業」っていうのがあるんですよ。うちらもそれに携わってて。神子畑って高齢の人が多くって人数も少ないんですよ。「うちはいいわ、うちはやらへん」って抜けたらしいんですよ。けど、神子畑選鉱所で作られた1円電車っていう可愛い電車があって、あれが神子畑に帰ってきたんですよ。それで火が点いて。やるって言って、おっちゃんらがいい感じに「自分らでガイドやる」ってするようになって。おみやげ作りましょうっていう話し合いをみんなでして、神子畑のおみやげ作ったんですよ。手ぬぐいとクリアファイルとTシャツと。はじめ、おっちゃんらは「こんなん売れるんかいな」って乗り気じゃなかったんですけど、「みんなでユニフォームとして着るから」って、めっちゃいいなって。
私達と話してても、お客さんが来たら「ちょっとごめんな」って言ってガイドをしに行く姿はかっこいいです。
【今後】
Q 前畑さんはこれからどういう活動したい?
写真家として活動してて、写真を通して『産業遺産』を知ってもらう活動もするし、自分自身ツアーを企画して、色んな人を連れて行くっていうのもあるし。もっと色んな人に産業遺産を知ってほしいから、そのためにツアーやったり写真で拡げたいなって。ゆくゆくは産業遺産の写真といえば前畑温子になりたいんです。
今はルート・ダルジャンのことを色々考えてます。色々案はあるんですけど、その場所によって変えないといけなくって。
私ずっと壁の写真を撮り続けてて、前に『お寺でジャズ』って空堀で20年くらいやってるイベントで、私は写真展をやったんですけど、空堀の街中の壁の写真を撮って飾ったんですよ。「見てきて、街を歩いてきて」って言って。お客さんが「あそこじゃない?」ってけっこう反応があって。勝手に「壁プロジェクト」って言ってて。色々壁で街を周遊してもらえたらいいなと思ってて。壁、めっちゃ好きで。
産業遺産に行っても一人で壁撮ってるんですよ。いっつも「何撮ってるの?」って聞かれるんですよ。「壁です」って。壁面白いんですよ。全くおんなじ素材で全くおんなじように使われてる壁でも、ある場所によって表情が違うんですよ。車が通ってる道やったらちょっと黒くなってるし。たまたまどっかの鉱山のお風呂の壁が尼崎にあるお風呂屋さんの壁と一緒やったんですよね。そんなんにめちゃ感動で。「一緒や!」みたいな。おんなじもんだけど、おんなじ表情のものがない。人の顔に見えたり。歴史が刻まれてるって言ったらなんですけど。なんて伝えたらいいんだろ。
Q 女子にメッセージを
行きたいけど、どうしようって思っている方は是非Jヘリのツアーに参加してください。
あとは産業遺産に行ったら、そこにいる人と話してください。おっちゃんでもおばちゃんでも。たまたま入った地域のご飯屋さんのおばちゃんでもいいから。
10月4日に神子畑で、プロジェクションマッピングするんですよ。1000人限定で。朝来市のホームページに載ってます。はがきを送って多かったら抽選です。うちらが提案したんです。ARTCOMPLEXは、ギアとか大阪のラバーダックとかをやってる会社です。いまプロジェクションマッピングって結構有名じゃないですか。でもARTCOMPLEXって一番最初にやりだしたとこなんですよ。まだプロジェクションマッピングっていう言葉がないときからやってたそうです。ここの人が(神子畑を)見て気に入ったらやってくれるって言ってたんですよ。で、ダンナが連れて行ったらめちゃ感動してくれて「神子畑めっちゃいい!」って言ってくれて。それでやってくれることになったんです。
前畑温子さん、ありがとうございました
下記のアドレスから題名に「直筆サイン入り著書プレゼント希望」としてお送り下さい。
たった1名様だけにプレゼントさせていただきます。
当選者にはこちらからご連絡させていただきます。