山下香
|山下香
略歴:1974年神戸生まれ
状況設計室代表
流通科学大学人間社会学部観光学科特任准教授
一級建築士、フランス政府公認建築家 Architecte D.P.L.G
University of Glasgow, Mackintosh School of Architectureを卒業後
Ecole d’Architecture de Paris La Villette に建築・都市計画を学ぶ。
まちづくり活動では、2005年に兵庫区でクレープと駄菓子の店「淡路屋」を営む伊藤由紀と共に「下町レトロに首っ丈の会」を結成し、「下町遠足ツアー」と称する地域資源発掘ツアーを開催。2007年第3回日本イベント大賞特別賞を受賞。2005年「下町レトロ地図」を、2010年に「おかんアート-兵庫・長田おかんアート案内-」を発刊。2009年より毎年「おかんアート展」を開催。2011年より、住民らと地域資源を共有しツアーを企画する団体「くもの会」を運営。2010年より豊中市まちづくり専門家会議委員。
建築活動では、長期優良住宅化リフォームにおける新たな手法に着目した設計を専門とし、主に「脚本家夫妻の家」「母と娘のシェアハウス」を手がけた。
1997英国スコットランドINTERACTコンペ構造部門最優秀賞、2003フランス・パリ・レアール地区再開発国際指名コンペ優勝(Agence SEURA)。2014年度国土交通省長期優良住宅化リフォーム推進事業採択。2011年より㈶兵庫県まちづくり技術センター景観評価助言委員会委員 、2012年より兵庫県景観審議会委員。
研究活動では、京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士後期課程に進学以降、地域資源の発掘、及び、運営に関する社会実験と研究に取り組んでいる。現在、流通科学大学間社会学部観光学科において、ランドスケープ保全論、住宅産業論、初年次教育を担当する。2015年より豊中市まち・ひと・しごと創生総合戦略策定審議会委員。
Q1:今何をやってますか?何にチカラを入れてますか?
下町レトロに首っ丈の会、くもの会、おかんアート、空き地カフェもされていますよね。車の免許を取るのに時間がかかった事も知ってます。設計をされてて大学の先生もされてて、どれにチカラを入れられてますか?
3つありまして、三角形を思い浮かべていただいてそれぞれの頂点に3つあるんですが、元々建築を勉強してきたので、いま設計の仕事だったりとかしている設計建築というのがあって。
建築していくにあたって、まちづくりという言葉で一括りにされているんですけども、建物を作った時にその中身、どういうプログラムを入れるかであったり、建物の周辺にどういうプログラムが生まれるかというような、建物だけを個体として考えるのではなくって、建物が存在する周りのその都市空間であったり街というものを考えるまちづくりかなぁと思うんですけど。
3つ目に研究っていう言葉なんです。
いまチカラを入れてるのって「建築」と「まちづくり」と「研究」の3つを繋げていくことにチカラを入れています。
Q1-1:設計っていうか建築なんですか?
設計が入っていきますけど、いま特にリフォームというかリノベーション。リフォームとリノベーションも最近よく言われてますけど、リノベーションというのは建物をただ新しくするだけじゃなくてそこに付加価値を入れる行為やって言われてるけど、そういうのも建築って言われているし。例えば街の中にその時だけ使うような装置、小屋みたいなものも建築って言われているし。私達が建築学を学んでいた頃っていうのは、安藤忠雄だったり、黒川紀章だったり、伊東豊雄とかっていうすごくおっきい建物を作ってるスター建築家っていう建物を建築と思っていたんだけど、あれから10年20年たって世の中の価値観というものがゴロッと変わってしまって、もはや小屋でさえ建築って言われるようになったので、そういったものを含めた建物っていうか空間を作るのを建築っていま私は呼んでいる感じです。
Q1-2:デザインも広く捉えられるようになってる。デザインって以前は最終工程に入る、今は一番最初から全体の作りをデザインするっていうのに近い?
今一番よく、流行りの言葉ってコミュニティデザインって言われてて。建築も建物を建てた最後の工程で、だるまに目を入れるみたいなものがデザインって捉えられていたけれど、私が学生で建築勉強してた頃っていうのはまだそういう感じだったと思う。あの後くらいからものすごく変わって、いま私41歳になったので20代のはじめのころから20年。その20年弱の間にものすごく価値観が変わってプロセスそのものが建築のデザインという捉えられ方をするようになってきたんです。
なぜ私がまちづくりに興味を持ちだしたかというと……。
はじめイギリスのグラスゴー大学に行って建築を勉強してて、3年生位の時に教授とケンカしたんです。たまたまその時の敷地が三角形だったんだけど、そこに私は四角の建物を建てた。それが周りの三角形の敷地のそれぞれの辺に接地してる地域っていうのが全部バラバラの性格の地域で、ある地域は公園に面してて、ある地域はガラの悪い、ある地域はおしゃれなところに面してたので、そのそれぞれの街との関わりっていうのを建物のファサードっていうところでプログラムが作れるような。要するに中身に何を組み込むか考えた結果四角形になってしまった。その時おじいちゃんの教授がぱっと私の作品を見て「何で建物が三角形じゃないんですか?」って言った。私は「何で三角形じゃないとダメなんですか?」って聞いた。「この敷地は三角形だろ。じゃ、この敷地に建物がしっくり収まるには、建物が三角形であるべきじゃないか」って言われたから「建物が街の中にしっくり収まるのは、その街の性格と建物の関係っていうプログラムを作ることで解消されるので形なんか関係ないんじゃないですか」ってケンカになったわけです。
イギリスで学んだ建築っていうのは、やっぱり建物っていう形を重視する建築で私これちゃうなぁって思ったんです。というのは、建物って敷地から見ると後から来たお客さんみたいなものなので、人間でも後から来た人は先に入った人が兄さんやから、敷地が兄さんなわけだから、「お願いします」って格好で入っていかないといけないとダメなのに、ドンとまわりを意識するかしないかわからないけど、建物の形というものだけでガンとするのはどうなんかなって違和感があって。
その直後に1年間インターンをしないとダメで、みんな大体ロンドン行くかグラスゴーで設計事務所探したんだけど。私はこんな形ばっかりのとこおられへんわと思って。
たまたまパーって調べたらフランスのパリにアーキテクチャスタジオっていう設計事務所があって、この事務所に行きたいって思った。私そこに行って全然フランス語喋れなかったんだけど、フランス語勉強してビザ取って入らしてもらったんです。
そのままフランスに留学しようと思って。3年の時に違和感を感じたので建物と都市について考えるような勉強を教えてくれるとこないのかなぁって調べたら、フランスって都市計画というのが進んでて、フランスだったら建物だけの形じゃなくって街全体のことを考えたものを教えてくれるんじゃなかなぁと思って。しかも学費がタダって知ってこれは行くしかないって。そのままフランスの大学に編入しようと思ったんだけど、1年間でフランス語だいぶ喋れるようになったんだけど筆記試験で落ちてしまってね。イギリスに帰らなきゃいけないって選択肢が残って。いややなぁって思ってその時お世話になってた女の教授に電話して「私フランスの学校落ちてもた。フランスにおりたいけどなんか方法ないっすかね?」って聞いたら「カオリ、あんた調度良かったわ、パリ建築大学と提携することになってん。あんた一期生で行かしたるわ」ってなって。在学するのはグラスゴー大学だけど、勉強はパリでできることになった。パリは建築大学が8個あって、そのうちのベルサイユ宮殿の目の前にあるパリ建築大学ベルサイユ校てところ。元々ベルサイユ宮殿の厩舎だったところで。
今さっき悩んでた街と建物の関係をそこで悶々としながらやっていくんだけど、そこで教授に言われたのが街を考えてから建物を建てなあかんていうことなんだけど、むしろ街よりになってしまって、ずっとやっていくんだけど最後にフランスの建築科の資格っていうのを取る試験があって卒業の試験と一緒なんやけど。その時たまたま選んだエリアっていうのがラヴィレットという街と神戸の兵庫区の和田岬の比較というのをしたんですね。なんでそれをしたかというと、パリのそのラヴィレットというのは19区っていうところにあって時計で言うと11時位のエリアにあるんだけど、あそこのエリアっていうのはめちゃくちゃガラが悪いんね。ガラ悪いしどっかで感じたとこやな、似たとこどっかあったなって思ったのは兵庫区やったと。兵庫区でも南やなと。なんでこんなにこの街に親近感があるのかなって。調べていくと、鉄道が通っているのと運河が通っているのと高速道路が通っているのが全部一緒やってん。となると何があるかっていうと、中央市場があるのと倉庫があるのと小麦のサイロがあるのと全部一緒になってて比較するとほぼ一緒やった。両方比較してこの兵庫の南部地域の活性化するための建築っていうのを提案するっていうのをお題にして向こうの建築科の資格をとろうと思ってずーっとやってて。その調査をしてた時たまたま(兵庫区の)淡路屋を見つけて。入ってはいないんだけど。
オルタナティブスペースを作ろうみたいな話になるんだけど、提案して高速道路の下とかを使ってやったらどうですかっていうことを建築的に提案したのが最後。
最後プレゼンの終わりに私が言った言葉が「この設計はこのままだったら失敗です」って。教授とかが全員並んでるんだけど。「ゲッ」って顔をされて。ていうのは「この建物は私作ったとしても一体誰が活用したり、誰がどういう使い方をするかっていうところまでしっかり練られていない限りただの箱になってしまうし、そういうことを考えていく必要が今後あると思います」って言ったら、私が一番お世話になっていたフランスの都市計画の大家と呼ばれているモンジャン先生が、「それ言ったらあかんやろ」って。「建築家はそんなことするのが仕事ちゃうねん。それはお前の仕事じゃない」って言われたから私は先生に「今はそうかもしれないけど、今後絶対そうなります」って言って終わったんです。
私の頭のなかには、ここまで時間かけて設計したけど一体このエリアにどんな人が住んでいるかっていうのがわからない限り、恐らくこんな建物って回っていかへんなって。逆にそういう人たちが把握できたらきっと凄く面白い建物っていうかハコっていう空間と人というものを繋ぎあわせて何かできるかもしれないと思って、今私は全然わかってないなと思ってそのまま帰ってきたっていうのがあって、それが下町レトロのスタートなんやけど。
私は帰ってきてこっちで下町の活性化か何かしたいなって思って。
もう10年くらい離れてるから、じゃあ帰って何ができるんやろって思って。誰も知り合いいないし、学生時代の友達もみんな結婚してたり違う仕事になってるし。どうしたもんかなぁって飛行機乗ってたんやけど、ある時にふっと思ったのはまず兵庫についたらあの駄菓子屋探そうと思って。兵庫に着いて母親に自転車借りてガーっと探しにいってん。そうしたら淡路屋さん見つかって、今だったら子供いないから入れるわって思って。入る前にあののれん見たら絶対おばぁちゃんがやってる店だと思って。レトロで素敵な店だなぁと思って中入ったら、私とあんま歳変わらない人がおってエッ!てビックリして、向こうも私が入ってきてへっ!て感じやってお互いへって感じやたんだけど。「和田岬になんで来られたんですか?」みたいに言ってきはって「ここを前に調査しててすっごい面白いなと思って来たんです」って言ったら、ちっちゃい豆本みたいなの見せてくれて「これもし良かったら」って見たらすっごい面白くって「湯が熱すぎる風呂屋」とかあって。「これって何なんですか?」って聞いたら「わざわざ和田岬まで来てくれるお客さんとかにもっと街のことを知ってもらいたいからって作ったんです」って。明らかにデジタルじゃない作りで、打ったやつをそのまま紙で貼ってその上に写真を置いて印刷したみたな、なんかわからへんけど。すんごい手作り感満載やって。「そんなに興味あるんやったら一回案内しようか?」って言われたんで一回(淡路屋さんの)伊藤さんにあのエリアを案内してもらって。すんごい面白かって。実はこのエリア調査したんで調査結果みてもらえませんかって言ってぶ厚い論文なんやけど、ありがたいことに写真がいっぱいあったから伊藤さんもわかって。これ面白いなぁって一緒になんか作りましょうかって言ったのがきっかけで下町レトロができたっていう話。
今まちづくりの活動を10年ほどやってるけど、もういよいよ建物というかハコとヒトっていうのを繋げていく時かなってなってる。
そんな時に私は京都大学の博士後期課程っていうのに入らせてもらって、その研究室に安枝先生が助教でいらっしゃって。はじめ私、研究室でプレゼンしてたんですけど先生最初全然興味もってらっしゃらなかったんですね。
そんな中で色々先生に指導してもらっていくなかで「研究ってやっぱり自分が知ってることを論文に後に残していかなあかん、社会を変えていかなあかん。そのためには活動ばっかりやってたらあかんねん」って言われて。残していかなダメやねんって言われて。やっぱり研究ってすっごい大事なんだって思って研究しだしたのがきっかけで。だいたい建築か研究かまちづくりかどれか3つに分かれるんだけど。研究と建築をやってる人はいるんだけど、まちづくりと研究をしてる人もいるけど、3つ繋げてる人はなかなかいないんですね。私が一番したいのはこの3つを繋げたい。自分の中でバシッて繋げて終えたいなっていうのんがずっとある。みんなそれはあまりにも求め過ぎやって言われるししんどいんだろうけど。3つしないとわからんことが絶対あるなって。そういう意味で3つ繋げたいなって。
それは何のためって言われてもまだ見えてないけど、なんかありそうだからっていうザックリしたところだけど。
Q2:もし山下さんになろうと思ったら?
私になろうと思ったら?ならん方がええちゃうんかな~。
それはね、街を歩いて面白いものをまず見つけ出していくのが、一番最小でそれだけで十分楽しいことなので、日常なんとも思ってないものの中から面白いものを見つけ出すっていうことをしてもらえたら嬉しいです。意外と見落としてますからね。
みんなが面白くないものから面白いものを探したり。オカンアートってまさにそれだったって。ちょっと似てますよねぇ。私の家にもいらんのにあったし。
それをなんかおかしいなぁって探して見つけて。調べて行って家探しみたいなことまでしてしまって行くとそんなん作ってるおばちゃん達が必死だってことがわかったりして。家に行くと作業台とか見るとこれはそこら辺のアーティスト顔負けやし、私はまず基本負けてんなって思ったくらいの心意気だったので。そんな人いてると思ってなかったし、そういう人がどこにいるんやって思ったら、マンションの同じ階に住んでたりするんですよ。びっくりする。
面白いか面白く無いかわからないんですけど、私、伊藤さんにすっごい教えてもらってるっていうか影響を受けてるとこがあって、まだフランスにいた時はもってなかった能力なんですけど。伊藤さんと付き合い始めたら道一緒に歩くでしょ。AとBの道があるんです。どっちが面白いもんあるか?っていうのを伊藤さんはすーっと行くんねんね。学生の時その能力がなくて、当時持ってたらパリの地図とか作ってたなって。
伊藤さんに付いて行くとやっぱり面白いものが絶対あって、なんかあの人持ってんねん。なんとなくわかるらしい。私は知ってるけど伊藤さんが知らない街ってのがあって、伊藤さんに「私ここおるから、街ちょっと見てあとから戻っておいで」って言ったら、伊藤さん私が長い間かけて見つけたものを全部見つけてきはるから。どうやったって聞いたら「あそこの温泉とあそこの駄菓子屋とか全部通ってきた」って言うて、この人やっぱ凄いなぁって。なんかそういう勘があるみたいで。あの人と付き合ってると私の中にもそんな勘みたいなものが芽生えはじめて、他の街に行ってもポイントになるとこは見つけられるようになった。伊藤さんに付いて行ってからなったので。あれがあると楽しい。それをまずしてもらうこと。
Q3:クリハラの知らない山下さんは?
けっこう神戸の下町ばっかり歩いてると思われてるけど、私けっこうハイカルチャー知ってますよ。みんな私が兵庫と長田しかおらへんと思ってるけど、意外と岡本とか北野町とかでも、いま北野町とか火がついてますけど、私中学のころから実はあのエリアとか母親に連れて行かれてましたし、幼稚園の時から父親にずっとキャバレー連れて行かれてたので、おっちゃんたちが知ってる神戸のほんまの文化知ってますよ。まだチューチュー咥えてる頃からキャバレー連れて行かれてたので。月世界とか紅馬車とか当時元気なころ全部回ってましたから。青江三奈にチューされたり、欧陽菲菲に抱っこしてもらったり、月亭可朝師匠にメダカの学校歌ってもらったり。私実はこう見えてもべべのモデルしてたんですよ幼稚園のころ。ワールドの(ジャヴァ)。
ほんまにね、めちゃくちゃ可愛かったらしいんですよ。性格悪かったんですよ、今もですけどね。元町通りを歩くと外国人の船乗りさんが付いてきたっていう。「可愛いねぇ」って言われたら「可愛い可愛いって言わんといて、言われなれとんねん」って言ったらしくって。当時3歳か4歳くらい。
Q4:「私はAをBにします」のAとBを埋めて文を作ってください。
私は今無いものを全部手に入れます。
今無いものそれが3つ(建築・まちづくり・研究)にかかってきます。
私は期待を全部裏切ります。
Q5:自分に不足してるもの、枯渇してるもの、欲してるものは?
実験できる敷地ですね。今あそこに一個あるので。いよいよ形にしていきます。
ややこしければ、ややこしいほど嬉しい。
すっごいわかったんは、考えぬくチカラが不足してます。頭が疲れてないので。
例えば申請のやつとか論文作っていくのも、考えぬくっていうか、自分が書いたものにすぐ満足してしまう。いつも先生に怒られるところが、もうひとりの自分が読んでツッコミ入れていくっていうか、そういうのがないって。っていうことは相手の読む人のことを考えて書く優しさがないって。ほんまに作っていかなって。考えぬくチカラがないなぁ。
Q6:満ち溢れてる、溢れだしてるモノは?
とにかく安くていいものを探そうっていう熱意はむちゃくちゃ満ち溢れてますね。最近すごい気になってるのが情報ってカネやなって思ってて。
っていうのが、お給料とかだけみると50万稼いでる人がいて20万稼いでる人がいると。この人の間って30万のお金の格差があるんだけど、50万の人って「休みの日どこ遊びに行きますか?」って言ったら遊びに行ける所ってUSJとかアウトレットしか選択肢がないわけ。そこ行ってバッバッお金使うわけ。例えばこんなもん食べたいなと思っても地域の情報がないからチェーン店行くかごっつい有名なベタなフランス料理屋しかいかれへんわけ。例えば10万とか20万とかの人たちが、あそこ美味しいとこ知ってるってなったら、その人が2000円出さなければ食べれへんのに、この人が500円で出せるとこを知ってたら1500円ってのが浮くわけでしょ。そんなんのを蓄積していくと30万って埋まったりしてしまうなって思ったりして。「となるとや」ってことで、「どういうこっちゃねんっ」てことずっと考えてます。
無駄なお金使わんと食べられるでしょ。この実質の格差ってなんなんやろって話になって。この人の持ってる情報とこの人の持ってない情報ってなんなんやろうっていうのをずっと考えてて。
例えば香港食館の370円(現在380円)の飲茶のモーニング知ってない人で人生だいぶ損するなぁって。
知らん人はそんなモーニング370円で食べれると思ってないし、飲茶たべよっかいうたら1500円とか2000円払ってくわけだけど。370円ですむと。ほな1500円ひく370円の分が浮く分けでしょ。何回か重なっていくわけですよね。でかいなと。となると一番幸せなことって「これ食べたいな」と思うときに適切な値段で最高のものを食べれるっていう人が一番幸せなんかなって思って。
その言葉がフランス語にあって「カリテ プリ」っていう言葉があって。カリテってクオリティのことで、プリってプライスって意味で。クオリティとプライスをいつも天秤にかけててこれがパチって合って最高ってところが一番いい。ずっと頭ん中「カリテプリカリテプリ」っていうのがずっとあって。それがずれるとプライスは高いプリはすごい高いと。でもカリテは低いものを選んでる場合、いくら年収とか月給とか高くても人生のレベル的にはすげーカリテは低いなと思って。こっちは年収とかそんなんでいくとその人よりも少ないかもしれないけど、カリテプリで行くとかなりカリテの高いものを食べてると。人生としてのカリテってどうなんですかってなったときに、ヘタしたらこっち勝つんちゃうかみたいになって。
いまはそんな幸せの指標とかってあるけど、番狂わせみたいなことが起こるんちゃうかなって。カリテプリが最高のところを探すっていう思いに満ち溢れてるっていう。品質と価格のベストマッチング。この値段でこれだけ出してきますかっていうお店をどれだけ知ってるかっていうか。
最近資本の研究をずっとしてるので全部資本について考えてしまう。
空間も空間資源っていうし、人も人的資源っていうし。
Q7:目指してる所は?
さっきの3つをつなげたいですね。
3つを全部できるようになりたい。
いっこだけ思ってるのは、フランスにすごいお世話になって最終的にフランスに恩返ししたいなって。向こうはまちづくりていうのがなかったりするし。
あの国にはほんとお世話になってるんで。フランスへの愛はかなり深いですね。今でもフランスの旗を見ただけで血がガーって煮えたぎりますね。日本の旗はためいてもあまり感じないんですけど。
何故好きかっていたら、今の自分の考え方の基礎を全部作ってくれた街で。
フランスの家の近所にパン屋さんがあって、そこの前にホームレスのおっちゃんが犬と住んでてん。床んとこ地下鉄の温い空気が出てきてそこ温いんね。いつも毛布敷いてテント張っておっちゃん寝てて、犬も一緒に寝てて。毎朝私そこ学校通う時に通ってた時おっちゃんおるわって思って行ってたんだけど。こないだ何年かぶりに行ったらそこの前がロウソクだらけになってて、「え、もしかして」と思ってばーって行ったらそのままテントも置きっぱなし毛布も置きっぱなしなんだけど、おっちゃん亡くなったって新聞の記事が貼ってあって、住民が「おっちゃんありがとう」とか「あなたは私の日常だった」とか貼ってるわけ。パン屋の前に。普通日本やったら「頼むからのいてくれ」ってなるのにそのまま亡くなった状態で置いてあって、ろうそくとかあって。あれ見た時にこの国って良いも悪いも関係ないんだなって。仏教用語で善悪一如って言葉があるんだけど、ここって善悪一如の国なんやなと思って。この国は凄いなと思って。そりゃ文化すごいわって思って。私ここに恩返しせなあかんと思って。
Q8:自分に自分で質問してください。PRにでも 3つどうぞ
1.
Q:あなた建築やってるけど、建築の作品まだあまり作ってないですよね?
A:待っとけよ!
って自分に。
2.
Q:あなた「まちづくり」とか関わってますね?
A:「まちづくり」って言葉ほど胡散臭い言葉はないやろ!
3
Q:あなた女捨ててるやろ?
A:そんなことはない!
この3つ。
一番最後はPRにになってるね。
ありがとうございました。
下町レトロに首っ丈の会(下町遠足ツアー、おかんアート)
http://citamatiretro.com/index.html